光ミュージアム収蔵品紹介
光ミュージアムの所蔵品の一部をご紹介いたします。
※作品は作品保護の為、通年展示されている訳ではございません。
西洋絵画 Western Paintings
フィンセント=ファン=ゴッホ
Vincent Van Gogh
洗濯をする農婦
1885年
洗濯をする農婦 フィンセント・ファン・ゴッホ(1885年)
牧師の子として生まれたゴッホは、画商の店員、イギリスの学校教師、ベルギー ボリナージュ炭坑の伝道師を経て、1880年に画家を志した。1884年、31歳の彼はオランダ ヌエネンの両親の元に身を寄せ、農夫の絵を描くようになる。そして父が亡くなった1885年の暮れにオランダを離れてからは、2度と故郷に戻ることはなかった。この絵はゴッホのオランダ時代の作品であり、独学でドラクロワの色彩理論を学び、ミレーを模写した影響が顕著に表われている。
パブロ・ピカソ
Pablo Ruiz Picasso
テアトル
1881-1973頃
テアトル パブロ・ピカソ
Pablo Ruiz Picasso
1881-1973頃
ピカソ(1881‐1973)は、20世紀が生んだ最も独創的で多才な芸術家の一人です。始めは絵のモチーフとして舞台に関心を持っていましたが、1920年頃ロシアバレエ団の舞台装飾を手掛けたのをきっかけに、ピカソ自身が舞台の制作者になっていきました。
『テアトル』は、ピカソが手がけた舞台の装置や衣裳デザイン、また演劇の絵画やドローイングなどをまとめた書籍『PICASSO THEATRE 1967』の表紙の原画です。
クロード・モネ
Claude Monet
1903-1919頃
睡蓮 クロード・モネ Claude Monet
1881-1973頃
1883年4月末、モネはパリから60㎞程離れたジヴェルニーに移り住んだ。1890年になるとそれまで借りていた土地と家を買い取り、すぐ近くを流れるリュ川から水をひいて念願の「水の庭園」を造成する。そして、そこに植えられた睡蓮の成長を待っていたかのように、1903年から頻繁に睡蓮を描くようになるのである。
日本画 Japanese Paintings
速水御舟
牡丹睡猫
牡丹睡猫速水御舟
速水御舟は日光東照宮を訪れ、左甚五郎( 江戸時代の彫り物の名人)の作と伝えられる宮彫( 宮殿や寺社などの欄間・柱などに施す彫刻)の『眠り猫』に感銘して『牡丹睡猫』を描いたといわれている。
村上華岳
牡丹図
牡丹図村上華岳
華岳は「牡丹の威厳荘重濃穣華麗なること、古代宗教画のようである」と述べ、生涯に実に多くの牡丹を描いた。前期の作品がこの図のように華麗な色彩画であるに対し、晩期のそれは蒼古とした水墨画であるが、どちらも牡丹の花の豊麗さと潤いを見事に描きだしている。
横山大観
蓬莱山
蓬莱山横山大観
蓬莱山は中国の神仙思想で説かれる霊山のこと。渤海のはるか東にあり、仙人が住み、不死の薬があり、玉の宮殿があるとされる。古来より画家が好んで取り上げたテーマであり、師・岡倉天心から東洋哲学や東洋思想の重要性を教えられた大観も幾度となくこれを描いている。
土佐光起
はは木々
蓬莱山横山大観
『はは木々(帚木)』は源氏物語の巻名で、内容は源氏や頭の中将らが女性の品定め談義をする「雨夜の品定め」と、源氏と空蝉との交渉の前半部である。
横山大観
行く春
行く春横山大観
大阪の旧家が所蔵し、その後長いこと所在不明だった作品。平家物語の祇王を描いたものと考えられる。祇王は白拍子の名手として名高く、平清盛の寵愛を受けて栄えるが、同じ白拍子の仏御前を清盛に取りもったところその座を奪われ、剃髪して出家することとなる。旧暦3月の出来事と言われる。
同時期に菱田春草が、秋に出家して祇王の後を追う仏御前を描いていることからも、桜の花びらが舞い散るこの絵はおそらく、仏門に入る決意を固めた祇王の姿を描いたものであろう。
川合玉堂
山村積雪
山村積雪川合玉堂
玉堂は明治32年6月の手紙に「ただただ小生は本邦絵画の為、大いに心胆を練磨し、一新機軸を作為し」「泰西美術を凌駕して真に日本絵画の発達を期す者なり」と記している。西洋絵画からも影響を受けながら、自己の芸術信念に基づいて日本の原風景を描いた作品である。
上村松園
美人納涼図
大正時代
美人納涼図 大正時代上村松園大正時代
松園は若い頃、祇園井特や山口素絢など京都の18世紀末の絵師の美人画を盛んに研究した。当館所蔵『美人之図』の、着物の褄をとって振り向く芸奴の姿にはその影響が見て取れる。
振り向き加減は同じだが、この絵の女性は丸髷を結い、右手で褄をとっていることから市井の女性であることが分かる。
うちわを持つ女性、納涼という画題や描き方などから大正時代の作と思われる。
上村松園
美人之図
昭和12年
美人之図 昭和12年上村松園
松園は若い頃、祇園井特や山口素絢など京都の18世紀末の絵師の美人画を盛んに研究した。当館所蔵『美人之図』の、着物の褄をとって振り向く芸奴の姿にはその影響が見て取れる。
振り向き加減は同じだが、この絵の女性は丸髷を結い、右手で褄をとっていることから市井の女性であることが分かる。
うちわを持つ女性、納涼という画題や描き方などから大正時代の作と思われる。
上村松園
紫式部図
大正4年~昭和4年頃
紫式部図 大正4年~昭和4年頃上村松園
松園は1933(昭和8)年に高松宮家の新築御祝品として徳川家の依頼で『月と花』を制作した。左幅に月と紫式部、右幅に桜と伊勢大輔が描かれた双幅の作品だが、現在その所在は明らかではない。本作品はその紫式部に絵柄が似ており、何らかの関連があると考えられる。松園の絵には珍しい下ぶくれの顔は『源氏物語絵巻』などに見られる平安美人に倣ったためであろう。装束の柄も『紫式部日記絵詞』に描かれた紫式部のものと同じである。
上村松園
三美人之図
明治41年
三美人之図 明治41年上村松園
松園は格調高い近代美人画の完成者とされ、自画像的な厳しさと浪漫性との統合に特色を示した。
親しく内緒話でもしているかのような二人の女性、その後ろにもう一人隠れているかのような構図がおもしろい。芸子と思われる女性の着物が、実に艶やかである。
松岡映丘
住吉ものがたり
住吉ものがたり松岡映丘
『住吉物語』は作者不詳の平安時代の物語で、現存するのは鎌倉時代初期の改作といわれている。実母を亡くした中納言の姫君は、求婚者が現われるとその都度継母に妨害されていた。たまりかねた姫君が尼である実母の乳母を頼って住吉へ身を隠すと、求婚者の少将は方々を探した末に住吉に参籠して夢のお告げを聞き、姫君と再会する。2人は都へ帰って幸せな結婚生活を営み、継母は落ちぶれて死ぬ。という典型的な継子いじめの物語であり、長谷観音の御利益を唱導するものである。
肉筆浮世絵 Ukiyoe
玄珠斎栄暁
遊女と禿
江戸後期
遊女と禿 江戸後期玄珠斎栄暁
遊女が扇や短冊に絵や和歌でも書こうとしているところへ禿が何か伝えにきたという場面である。妓楼からのお仕着せと思える打掛けは青地に紅葉、火焔太鼓、幔幕、笙などの模様、帯の図柄も鯉の滝登りをあしらった豪華なもので、禿も同じ地に菊の裾模様のある振り袖を着ている。打掛けには紋があり、簪にも妓楼を表す紋がついているので、特定の遊女を描いたものと思われる。
作者不詳(西村・石川派)
吉原仲之町春景
江戸中期
寿香亭吉信
鼓打つ女
江戸中期(宝暦頃)
春亭道人
水鏡
江戸後期
作者不詳
雪中傘さし美人
年代不詳
二代鳥居清満
雪中傘さし美人
江戸後期(文化12年)~明治元年
作者不詳(菊川派)
雪中美人
江戸後期
作者不詳(友禅染)
鉄仙花
歌川久信
遊女道中
作者不詳(初期肉筆浮世絵諸画人)
桜下遊宴
鳥園斎 栄深・島 君山
円窓の三美人
作者不詳(友禅染)
牡丹と猫
月岡雪斎
美人遊戯
宮川一笑
桜下美人
江戸中期
作者不詳(西村・石川派)
桜下二美人に曳かれる布袋
江戸中期
白玉斎
男舞
宮川長春
追い羽根
江戸中期(宝永~寛延頃)
東堂里川風
二世中村七三郎
吉原真龍
紅葉の下
江戸後期
葛飾北斎
日・龍・月
江戸後期(寛政12年~文化元年)
浮世絵版画 Ukiyo-e woodblock prints
東洲斎写楽
市川鰕蔵の竹村定之進
江戸後期(寛政6~7年頃)
葛飾北斎
冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏
江戸後期(天保2年頃)
歌川広重
東海道五十三次 庄野・白雨
江戸後期(天保4年頃)
歌川広重
名所江戸百景 亀戸梅屋舗
幕末(安政3~5年頃)
葛飾北斎
冨嶽三十六景「山下白雨」
葛飾北斎
冨嶽三十六景「凱風快晴(赤富士)」
書 Calligraphy
高橋泥舟
宝祚之隆天壌無窮
幕末
伝・藤原行成
猿丸集断簡(重要美術品)
平安中期
藤原定家
藤原定家自筆書状
平安末期~鎌倉初期
後陽成天皇
宸翰御消息
桃山~江戸初期(天正19年~元和3年)
工芸 Crafts
国宝
太刀 銘 康次
鎌倉時代(建暦頃)□刃の長さ:856mm 反り:34mm
国指定重要文化財
太刀 銘 了戒
鎌倉時代(延慶頃)□刃の長さ:816mm 反り:24.7mm